中国行きのスロウ・ボート
「中国行きのスロウ・ボート」
村上 春樹 1983/05 中央公論新社 単行本: 238p:
Vol.2 954★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆
これだけ村上春樹本を追いかけていても、必ずしもこの「中国行きのスロウ・ボート」のタイトルが派手にでてくる場面は多くない。むしろ、他の長編やらファン感謝デーのようなポップな本が目立ちすぎ、実際にここまで話題が及ぶということはあまりないのだ。なにかのリストで出て来る程度で、気にはなっていたが、あとはジグソウ・パズルの、残りの空間を埋めるような段階になって、ようやく気がついた一冊と言える。
しかし、この本は、そんな穴埋めの一冊ではない。村上春樹としての短編集としては、もっとも最初に出されたものだ。1980~82年の間に書かれた短編が7つ収録されている。文庫本もでているようだが、私は初版本にこだわったため、地域の公立図書館の「閉架書庫」から出してもらって手にとることになった。
初版は83年5月だが、公立図書館にあったものは89年10月発行の25版だった。村上春樹が一般の読者に認識されたのはどの時期であるのか異論のあるところだろうが、トップグループに飛び出たのは、1987年9月の「ノルウェイの森」が出たあたりだったのではないだろうか、と関連リストを眺めながら思う。
最初はあまり注目されることのなかった短編集であるが、「ノルウェイの森」のヒットにより、作家の過去の作品を読みたくなった読者のひとりが、89年になって図書館にリクエストしたのではないか。それまで図書館でもノーマークな一冊だったのではないか、などと、勝手に想像してみる。確証はなにもない。ただの想像だ。
正直なところ、ぼくはリナックスという名前で公開したいなどとは思っていなかった。それじゃぁ、あんまり自己中心的すぎる。ぼくが考えていた名前は、フリークス(freax)だった(わかるかな? フリークに、欠かすことのできないxをつけたわけ)。実際、初期のメーク・ファイル(ソースをコンパイルする方法を説明したファイル)には、半年ほどフリークスという言葉が残っていた。でも、それはどうでもいい。あのころはまだ公開前で、名前なんか必要なかったのだ。リーナス・トーバルズ「それがぼくには楽しかったから」p138
「中国行きのスロウ・ボート」25版がでた頃、フィンランドのオタク学生だったリーナス・トーバルズは、91年に公開されるOS「リナックス」にむけて、盛んにカーネルをつくっていた。のちにフリーソフトウェアの代表となり、オープンソースな流れを作った源流と言える。さらには現在のクラウドソーシングと言われるものの原型を決定づけた最初の動きが始まっていたのだ。
もし、クラウドソーシングとしての「ハルキワールド」という見立てに、多少の妥当性があるとすれば、まさに村上春樹は、この「中国行きのスロウボート」あたりで、盛んにコツコツと、一人で、カーネル作りに励んでいたのである。
小説読みではない私には、この短編集を、内田樹の本のようにレインボーカラーで評価することはできない。せいぜい★3つか4つだ。内田は、ちょっとヒネていて、どこか吉本芸人のインテリ版のような痛快な笑いがある。このユーモアとウィット(といえるかどうか)には、私は、両手を叩いて大笑いする。おひねりをポンと投げたくなる。
しかし、村上春樹のカーネルづくりには派手さはない。静かに静かに、確実に何かが始まっている音がする。
詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ。それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予測だった。
伝説の不吉なカーブも通り過ぎたし、照明の暗いじめじめしたトンネルもくぐり抜けた。あとはまっすぐな6車線道路を(さして気は進まぬにしても)目的地に向けてひた走ればいいわけだ。
我々は髪を切り、毎朝髭を剃った。我々はもう詩人でもロックンローラーでもないのだ。酔っ払て電話ボックスの中で寝たり、地下鉄の車内でさくらんぼを一袋食べたり、朝の4時にドアーズのLPを大音量で聞いたりすることもやめた。つきあいで生命保険にも入ったし、ホテルのバーで酒を飲むようにものなったし、歯医者の領収証をとっておいて医療控除の受けるようにもなった。
なにしろ、もう28だものな・・・・。p81「ニューヨーク炭鉱の悲劇」
いみじくも、この本がでた1983年、私も28歳だった。結婚し、子供が生まれた。村上春樹本人はもっと年上だったから、このように28歳を描写したけど、28歳の私なら、こんな描写はうっとうしくてたまらない。そんな、見透かしたようなことは言わないでくれ。いいから、ほおっておいてくれないか。当時の私がこの短編を読んだら、きっとそう言ったに違いない。だから、私は村上春樹を読まなかった。
この本で「クラウドソーシング」カテゴリは108に達した。★は3つしか出さないが、まさにこのカテゴリの108番目においておくにふさわしい一冊と思える。ひとつのカーネルの完成がここにある。そして、新たなるクラウドソーシングをもとめる、新たなる旅へとつづく。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント