This Is It<2> & The Supreme Doctrine <2>
This Is It<1>よりつづく
The Supreme Doctrine<1>よりつづく
「This Is It」 and Other Essays on Zen and Spiritual Experience<2>
著者Alan Watts 出版年1996, 初版1960 出版者 Rider 形態 xii, 140 p. ; 20 cm. 言語: 英語 出版地 London
「The Supreme Doctrine 」<2>
by Hubert Benoit (Author) October 1995 Publisher: Sussex Academic Press; Paperback: 234 pages Language: English 初版1955
ネイティブ・リーダーならざる当ブログにとっては、日本語以外の文献は決して取り扱いやすいものではない。Oshoベーシックな英語ならなんとか読めても、ちょっと複雑な内容だと、最後まで読みとおすことはできなくなる。ましてや、辞書なしでざっと読んでしまおうとすると、その大略さえよくわからない、ということもある。
内容がZenであれば、読みこなしてみたい、とは思うものの、どこかチグハグな感触を味わうことも多い。なぜか。いろいろ考えてみたのだが、禅に関する日本語文献と、Zenに関する英語文献には、根本的な、なにか決定的な違いがあるのではないか、と思うようになった。
禅については、ほとんど初歩的な入門書であったとしても、日本的な文化や、東洋的な枠組みのなかで、常識化していることを基礎として、簡単な文脈で、結構高踏な内容が表現されていることが多くある。
ところが英語文献においては、ある一定程度のインテリ層を読者像としてイメージしているのか、論理的な組み立てに多くの時間を費やしているわりには、あまり深いところまで論じられていないように思うのだ。
ルールはあいまいなままに、とにかく近くの広場で、三角ベースの野球を楽しんでしまおうという流れがあるとしたら、もう一方には、やたらとルールブックをひっくり返しながら、延々とその調整に時間をかけているように見える、という流れがある。
こと、禅やZenについては、この比較は、まさに東洋的であり、西洋的である、という各々の性格がよくでているように思う。西洋的Zen理解には、鈴木大拙などの業績が大きく影響しているので、まずは、彼のロジックなりアルゴリズムを日本語的に理解したうえで、英語的Zen理解を読みこんでいったほうがいいのかもしれない。
この「This Is It」にしても、「The Supreme Doctrine」にしても、邦訳されていない。英語版にしても、周囲の図書館には見当たらない。国の中央施設から借り出してようやく今回めくることができた。内容うんぬんよりも、これらの文献は、日本人的な関心からは大きく外れているように見える。あるいは、平均的な日本人的信条から考えれば、このような英語文献を喜んでいる日本人というものがいるとすれば、それは、すこしひねくれすぎている、と言えるのではないだろうか。
20世紀の初めや中盤においては確かに異国情緒的なニュアンスを含みながらZenは愛されたかもしれないが、西洋的Buddhism理解は、Zenよりむしろチベット密教'(Tantra)のほうに大きく流れていっているようだ。それはどちらが正しい、という意味ではなく、単にモダニズムや流行に大きく影響を受けているだろう。Tantraとて、ある一定の時期が過ぎれば、次第にその熱は冷めてしまうに違いない。
この二冊を同時にめくりながら、そんなことを考えていた。ただ指標としてのこれらの本の持っている存在意義は大きい。日本人が自らの精神性のために読むというというよりは、日本的あるいは東洋的精神性がどのように他の地域の人々に理解されているのか、という確認作業において意味があるように思う。21世紀的なグローバルな地球人スピリットが立ち現れるまで、さまざまな潮流が行きつ戻りつしている。
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