村上春樹『1Q84』をどう読むか<2>
<1>よりつづく
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」 <2>
河出書房新社 島田裕巳 内田樹 森達也他 2009/07 単行本 222p
この本は一度書店で立ち読みをしている。もちろん、30数名、40名近くの人々の意見をすべてを読んだわけではなく、気になる人間の読みやすい部分に目を通しておいたに過ぎない。もっとも、読書としてはこれでなんの間違いもない。どうせ、購入して読もうが、ベットに横になって何日もかけて読もうが、本というものは、残るところは残るし、精読したつもりでも、残らないところは、まったく残らない。とくに私の場合はそうだ。
この本ばかりではなく、村上春樹の「1Q84」そのものも、あの段階では「立ち読み」しかしておらず、単にその書物が本屋にあったことを「確認」した程度の読み方でしかない。まぁ、大まかなストーリーはわからないでもないが、こまかいディティールについては無頓着に読み進めていくしかない。
しかるに、図書館にリクエストしておいた「1Q84」が800人待ちの時間を超えて、ようやく年末に私の番にやってきた。年末年始の休み中に、タイミング良く、私はこの本を、私の読書としては異例なくらい、ゆっくりと読むことになった。
面白いと思った。そして、これは続編が存在しなければ落ち着かない小説だと思った。そして実際、今年の4月には続編がでるという。それがわかった時点から、私はすこしづつ村上春樹の小説やら評論なりを読み進めるようになった。ジグソーパズルのパーツがすこしづつ揃いつつある。しかし、まだ10分の1くらいしか集まっていない。もうすこし埋めてみたい。
そんなことを思っているとき、この本を思い出した。他の人々はどのようにこの本を読んだのだろう。この手の本がもっとでるかと思ったが、私が通う図書館レベルでは、この手の本はそう多くない。「1Q84」でいえば、あとは村上春樹研究会の「読み解く」くらいなものだ。そこで、こちらの「どう読むか」を、ゆっくり読んでみようと思い立ったのだった。
ときあたかも、当ブログにおける「表現からアートへ」カテゴリは、107番まで数を数えており、あとひとつの書き込みで「108」の定数となる。つまり、このカテゴリ最後の一冊となるわけだが、あえて、ここはこの本でしめくくりたいと思う。
もっとも、一回限りではこの本を読んだことにならないので、つぎの書き込みは「クラウドソーシング」カテゴリへとつながっていくことになる。すでに村上春樹関連についての書き込みは「クラウドソーシング」のなかで進めており、ひとり村上春樹という作家についてではなく、それを取り巻く状況、そして、村上春樹という作家そのものをさえ取り除いたところでの「状況」にさえ関心のある「クラウドソーシング」カテゴリとしては、この本を活用するのは、うってつけのように思える。
さて、この本をどのように読むのかを考えている。順番に、この30数人の文章を読んでいくのだろうか。それとも、あたかも一冊の小説でもあるかのように、最初のページから最後のページまで順番にめくったほうがいいのだろうか。
あらためてペラペラとめくると、たしかに読みたい文章もあるが、無視してしまいたい文章もある。ましてや、小説が出版されて間もないタイミングでこの本がでている限り、書いている(インタビューを受けている)本人たちですら、不本意な物言いになっている可能性もある。まずはそれらを含めても、最初は、順番に読んでいくのがよかろうか、と思う。
そして、村上春樹の小説そのものも、現在、すこしづつ読み進めているところなので、全体を読み終わったあとに、また、この本を読んでみる必要もあるのかもしれない。また、book3などがでたあとに、再読する必要もあるだろう。
まずはともあれ、「表現からアートへ」カテゴリと「クラウドソーシング」カテゴリの間に、この本が存在していた、ということをメモしておく。
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